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故牧 伸二さんとの思い出 [日記]

 あの牧 伸二さんが亡くなられました(享年78)。
 昭和42年、岡山からドラマーを目指してて上京。先ずはバンドボーイから(西郷輝彦さんのサクセスストーリーを読んで)渡辺プロを尋ねGSのバンドボーイになったが、GSでは忙し過ぎて勉強にならず、ジャズ喫茶(新宿アシベ、池袋ドラム)で、奥村チヨさん、望月ひろしさん、田辺靖夫さん等のバックバンドをやっていた大人のバンドに「ボーヤやらせて下さい」と交渉、即OKをもらう。
 さて、GSの方は「次を見つけたらいいよ」で、アシベの表に貼り紙を出したら、30分でカモが来て解決。その大人のバンドが後に「牧 伸二ショー」のバックを担当することになるのです。
 ショーの1部では当時テレビで大人気だった「大正テレビ寄席」の人気コーナー、オークション。牧さんが香具師の恰好で、先ずはバナナから電気製品までオークションにかけ、売上げ金を‘あゆみの箱’に入れるというものです。
 「牧 伸二ショー」では全国を回りました。その1部のショーにはブレーク前の泉 ピン子さんのギター漫談もパッケージとして組み込まれていました。
 2部が牧さんの歌だけのショーです。先ずは芸者の恰好をして登場。ひとしきり和風の歌を披
露。ゲスト歌手の後はタキシード姿で、スタンダードやオリジナル曲を。
 3年目の、日劇でのショーでは、バンドボーイからドラマーに昇格していた私がドラムを叩きまし
た。GSのボーヤをやっていた時の‘ウエスタンカーニバル’の会場のそこで。
 さて、最大の思い出話です。前出のオークションを地方でやる場合、会議用の折りたたみのテ
ーブルを使用します。始まる時は最初から板付きで用意しておき緞帳が上がりオープニングで
す。オークション終了後は、牧さんの付き人の菅沼君(同い年、後にギター漫談のすがぬま伸)が片付けるのですが、ソデに入る前にテーブルごとひっくり返るとそこで大爆笑が起きるのです。
 ある日、その菅沼君が寝坊したのでしょうか、新幹線に乗り遅れました。当時携帯などあるはず
もなく結局その日菅沼君は姿を見せませんでした。そこで、そのテーブルの片付け役を私がやる
ことになったのです。結果は、大成功でした。この時の感触は今でも鮮明に記憶してます。それ
はそれは“快感”でした。
 この時はドラマーへの道を一心不乱に歩んでいましたから、‘お笑い’への憧れは皆無。もし
この時のこの快感が忘れられず‘お笑い’に目覚めていたらどんな人生だったのでしょうか。
 ドラマーとしてのお付き合いは1年ほどで終了するのですが、その後、さいたまんぞうになって
から、JAさんの年金友の会の歌謡ショーの1部お笑いコーナーで時々ご一緒することなり、’81
年TBSホールでの、デビュー20周年記念コンサートにはゲストとして来て下さいました(写真)。
 人付き合いが苦手で人脈の少なさは自信がある私にとって(いい歳をして恥ずかしいことで
す)お願い事の出来る数少ない芸能人のお一人だったのでショックです。

 ただただ、お世話になりました、ご冥福をお祈りします。としか言えません。

牧さん2.jpg


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